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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2015年12月21日

感情認識できる




ロボットと言えば、原子力発電所での作業や瓦礫の撤去など
人手だけでは出来ない危険な作業を担うことを期待されているが、
このような、人の感情や心理を読むロボットというものに対する期待も大きい。
感情を読むロボットと言えば、
1980年代初頭に放映された、アメリカドラマ『ナイトライダー』には、
会話が出来るクルマが出てきて、主人公とともに事件を解決するというストーリーで、
一躍人気のドラマとなった。
やはり、ただ作業をするだけのロボットより、人の感情を読んだり、
言葉をかけたりするそんなロボットこそ期待されていると言えそうだ。

先日のCNN NEWS に、
レストランを経営する企業で、今、試験的にロボットを導入する例が相次いでいるという。
この背景には、ファーストフード店で働く人たちの賃上げ要求ストなどがあり、
実際に、現在、時給15ドルとなる法案が審議されているという。
もしそうなれば、経営が成り立たなくなるとして、
ロボットの導入に拍車がかかっているという。

レストランでのロボット導入と言っても、現在行なわれていることは、
オーダーシステムのコンピュータ化など補助的なことをやっている程度。
客からオーダーを聞き、お愛想を言って、運んだりするところまではいかない。
ただ、歩くロボットは既にある。
こういったロボットに感情認識システムを組み込むと、
ロボットが、お客の顔を覚え、
「今日は元気がないですね?」とか「そんなイライラしたときには、このメニューで」
など、一人一人に向けた話が出来るようになる。

その日の感情で、客に不快感を与えたりする人間の従業員より、
はるかに頼もしい存在になるに違いない。
ところが将来、そんなロボットも、コキ使われていることに嫌気が差し、
賃上げ要求したり、ストをするようになるかも?

  


Posted by プリティ at 15:11Comments(0)

2015年12月10日

切手蒐集



最近の切手には、寝かしている間に
驚くほど高騰するものはなくなってしまったが、
モノによっては、急激な上昇曲線を描くものがあるDr. Schafter減肥

「奇貨居(お)くべし」という故事成語がある。
奇貨とは、めずらしい品物のこと。意味としては、
「珍しい品物であるから今買って、寝かしておいて利益を得るがよい」
となる。まさに、蒐集趣味を表現したような言葉だが、
この言葉は、前漢時代の歴史書『史記』に出ているもの。
そんな大昔にも、そのような発想があったという事になる。

この言葉の意味には、もう一つある。
こちらの方が、故事の意味に近いが、
「得がたい機会だから、これを逃さず利用すべきだ」
とするもの。
すなわち、「千載一遇のチャンス」を逃さない、
という意味にもなる。

今回の都知事選の候補者が、ほぼ決まった。
顔ぶれを見てみると、相対的に年齢が高く、
誰、違(たが)う事なくシルバーエイジという雰囲気がある。
「殿」と呼ばれるかの人も、76歳。
上には上がいるものだ。
ドクターと呼ばれる人などは、85歳。

「奇貨」ならば、年数を経て値打ちが高くなったと言いたいところだが、、。
この選挙は、前任者のスキャンダルがなければ、
行なわれるべくもなかった選挙人事顧問
「奇貨居くべし」、千載一遇のチャンスは、誰の手に。  


Posted by プリティ at 11:57Comments(0)

2015年12月02日

連歌(れんが

次に詠む人は変わり、その句に続いて七七の14文字の句を連ねて句を作る。
次の詠み手が、最初のときのように、五七五の句を連ねて行く。
次は、14文字。
そんな風に、歌を連ねて行くところから「連歌」と呼ばれる。
自由に作られる句だが、一つだけ必ず守らないといけない原則がある。
それは、前の句と、少なくとも関連がある内容を含んでいること。
そこに、機智を含んだ内容を詠みこんだりすると、大ウ香港服務式公寓ケしたりもする。

その当時の人にとっては、大いに楽しめる娯楽でもあったようだ。
連歌ブームは、鎌倉時代にはじまり、室町時代に最盛期を迎え、江戸時代まで続いたという。
当時、様々なところで連歌の会が催され、新しい作風の句をもたらす連歌師は歓迎され、
いわゆる”どさ回り”をして、大きく稼いでいたとも言われる。

それほどの人気だったが、今は、その影すら見ることはない。
今現在、俳句人口が500万人以上だと言われるが、連歌人口は数百人程度だという。
俳諧は、この連歌の流れを汲むもの。
基本的には、機智、軽さ、滑稽を南乳花生詠んだものが多い。

松尾芭蕉の俳句も基本的に機智や滑稽を詠んだものも多い。
彼の句に、
「五月雨に 鳰(にお)の浮き巣を 見に行かむ」というのがある。
「鳰」とは、カイツブリのことで、鴨のような水鳥で、
水にもぐることができる鳥類で、琵琶湖の水面などに逆円錐状の巣を数多く作っている。
琵琶湖のことを「鳰のうみ」という別名がある。
芭蕉のこの句を解釈すると、
「梅雨の雨が降る中、なにも、好んで雨の中に出掛けていくこともないのに、
さすらう自分の姿を見るような、湖に浮かんでいるカイツブリの巣を見に行くとするか」
という芭蕉らしい自嘲的なおかしさを読み込んだ句。

同じ雨を詠っても少し剽軽(ひょうきん)さが漂う句もある。
そんな句を詠む一人、滝 瓢水(たきひょうすい) の句に、
「浜までは 海女(あま)も蓑(みの)着る 時雨(しぐれ)かな」というのがある。

海女といえば、海に潜って貝やウニなどの漁をする女性だが、
海女小屋から浜までは、蓑を着て行くという。(すなわち、海に潜るため、
これから、ずぶ濡れになるのに浜までは傘をさして行く)という迪士尼美語 好唔好意味になる。

人のやることは、ちょっと考えれば、どこか おかしいところがあるものだ。
  


Posted by プリティ at 13:21Comments(0)