2015年11月26日

仏教の修行

仏教の修行


これは、刻々と変わる死体の様子を観想するというもの。

現世が無常なものであり肉体を不浄なものと知るための修行で、
古くは、奈良時代に日本に伝わっていたとされる。

死後の肉体が朽ち白骨化するまでの九段階を表わした仏教画に、
九相図なるものがあり、
美人として知られる小野小町が、よく題材とされたりした。
その美貌もいつかは死を迎え、その肉体も朽ち果てて行くことを表わし、
世の無常をを強調する意味でモデルとされたようだ。
平安時代の檀林皇后は仏教に対する信心深く、
死後、自身の遺体を放置させ、この九相図を描かせたとも言われる。

すべてのものは無常で、いつかは朽ちて行ったり、
忘れ去られて行くのが世の倣(なら)いでもある。

それとは逆にネット社会というものは、
この「忘れる」という行為が不得意とも言える。

個人的に撮った写真で、撮った頃は気に入っていた写真でも、
時が経つと思い出したくもない写真になることもある。
そんな個人的な写真は、破り捨てたり筐底(きょうてい)に潜ませていれば、
誰の目に触れることなく消え去って行くもの。

ところが、今の時代、
一度、ネットに公開された写真や画像などは、いつの間にか拡散され、
もはやオリジナルな画像を消しても拡散を止めることができない状態になっていたりする。
時には、それが様々な波紋を呼ぶことになる。
いいものも、望まれないものも、筐底どころか、
自分の預かり知らなところで、変わることなく保存されていることになったりする。
すべては移ろい、朽ちて行くというのに、そんな画像が残っているのは、
一種のホラーでもある。



Posted by プリティ at 12:35│Comments(0)
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