2015年12月02日

連歌(れんが

次に詠む人は変わり、その句に続いて七七の14文字の句を連ねて句を作る。
次の詠み手が、最初のときのように、五七五の句を連ねて行く。
次は、14文字。
そんな風に、歌を連ねて行くところから「連歌」と呼ばれる。
自由に作られる句だが、一つだけ必ず守らないといけない原則がある。
それは、前の句と、少なくとも関連がある内容を含んでいること。
そこに、機智を含んだ内容を詠みこんだりすると、大ウ香港服務式公寓ケしたりもする。

その当時の人にとっては、大いに楽しめる娯楽でもあったようだ。
連歌ブームは、鎌倉時代にはじまり、室町時代に最盛期を迎え、江戸時代まで続いたという。
当時、様々なところで連歌の会が催され、新しい作風の句をもたらす連歌師は歓迎され、
いわゆる”どさ回り”をして、大きく稼いでいたとも言われる。

それほどの人気だったが、今は、その影すら見ることはない。
今現在、俳句人口が500万人以上だと言われるが、連歌人口は数百人程度だという。
俳諧は、この連歌の流れを汲むもの。
基本的には、機智、軽さ、滑稽を南乳花生詠んだものが多い。

松尾芭蕉の俳句も基本的に機智や滑稽を詠んだものも多い。
彼の句に、
「五月雨に 鳰(にお)の浮き巣を 見に行かむ」というのがある。
「鳰」とは、カイツブリのことで、鴨のような水鳥で、
水にもぐることができる鳥類で、琵琶湖の水面などに逆円錐状の巣を数多く作っている。
琵琶湖のことを「鳰のうみ」という別名がある。
芭蕉のこの句を解釈すると、
「梅雨の雨が降る中、なにも、好んで雨の中に出掛けていくこともないのに、
さすらう自分の姿を見るような、湖に浮かんでいるカイツブリの巣を見に行くとするか」
という芭蕉らしい自嘲的なおかしさを読み込んだ句。

同じ雨を詠っても少し剽軽(ひょうきん)さが漂う句もある。
そんな句を詠む一人、滝 瓢水(たきひょうすい) の句に、
「浜までは 海女(あま)も蓑(みの)着る 時雨(しぐれ)かな」というのがある。

海女といえば、海に潜って貝やウニなどの漁をする女性だが、
海女小屋から浜までは、蓑を着て行くという。(すなわち、海に潜るため、
これから、ずぶ濡れになるのに浜までは傘をさして行く)という迪士尼美語 好唔好意味になる。

人のやることは、ちょっと考えれば、どこか おかしいところがあるものだ。



Posted by プリティ at 13:21│Comments(0)
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